反響室の中と外

反響室の中と外

Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

ノットフォーミーの難しさ

 映画をちゃんと見始めて1年弱のにわかですが、続けているとにわかなりに蓄積されることが出てくるものなんだなあと思ったので書き残しておく。

 なんだかんだ本数を重ねるとやっぱり自分の映画の見方に偏りが出てくるというか、単なるジャンル分けや題材選び以上に細かいところで「好み」が出てくるものだなあと。おそらくいわゆる「目が肥える」ってやつ(いえ、まだまだだとも思いつつ)。
 で、そうなってくるとどうしても「気に入らない」「合わない」作品に出会うことになる。たとえば昨年末ならああこんなものなんだな、とある意味無条件に受け入れていたような作品を同じようには見られなくなっている自分に気がつくわけです。当然といえば当然なのかもしれない。映画をはじめ「作品」はそれを見る人との関係性によってはじめて成立するものなので。
 そこまでは誰にでもある心の動きだとして、その先。気に入らない作品に出会ってしまったとき、その「気に入らなさ」を作品のほうばかりに押し付けようとしてないかい? とちょっと自省したのです。同じものを見てすごく良かった! と思う人ももちろんいるはずでそこには上下も貴賎もないのに、本来主観から発生したものである「気に入らなさ」を作品側に転嫁してしまったら、作品を手掛けた多くの人の意図だけでなく、自分とは違う価値観の観客全てを否定することにもなる。それってめちゃくちゃ狭量だし横暴じゃないかと。ただでさえひねくれ者なのに、お前はこれ以上他人を排除してどうする気なのか。
(ここまで書くととてもできた人間の言うことのようですが、ぶっちゃけると、“逆”、つまり自分が好感を持った作品がどこかで誰かにくそみそに貶されるのが悲しいってだけだったりもします……ほらあの我が身がかわいいから……)

 さて。この「合う・合わない」って少なからずその作品を見る前に多少なりとも何かを期待しなければ発生しない思考だったりもするので、過去、

 


などというタイトルの記事を書いてあれこれ言った身で結局期待してるんじゃん…と思うと汗顔の至りでしかありませんが、まあある程度の好みが出てしまうのは人間なのでご容赦をお願いするとして(甘い)それでもできるだけ当初のスタンスは崩さずにいろんな作品を見つつ、感想を言うときには自分の尻は自分で拭こうねと己を戒めながらまとまらない記事をまとまらないまま締めようと思います。
 みなさまも引き続き楽しい映画生活を。