反響室の中と外

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Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

「否定と肯定」/相手の土俵に上らない

Title: Denial (2016)
Countries: UK / USA
Direction: Mick Jackson
Writing: David Hare
Cinematography: Haris Zambarloukos
Music: Howard Shore
Based on: Deborah Lipstadt "History on Trial: My Day in Court with a Holocaust Denier"

 

 本文の前に:
・このブログの映画感想記事は個人の所感を記録することに特化しています。
・基本的に公式宣伝やインターネットなどで触れられるあらすじについて改めて言及しません。数多ある感想ブログの中ではかなり不親切な部類に入ると予想されます。
・息を吸って吐くようにネタバレしたり作品の見せ場について濃ゆいコメントをしたりします。ご注意くださいませ。

 
 映画本編そのものより邦題と先日公開された日本版予告動画のほうが(悪い意味で)気になってしまっているので、今回の記事は配給サイドに対する批判が多いです。目的に合わない場合はお手数ですが回避推奨。

 というわけで、引っかかってしまっている予告動画を見てみましょう。


ホロコーストは実在したのか?衝撃の裁判を描く 映画『否定と肯定』予告編


 うーん。

 邦題が発表されたときにフォロイーさんのお一人が「「否定と肯定」というタイトルは映画の主旨、というかそもそものホロコースト否定論への対応の原則に沿っていないのでは」と指摘なさっていて目から鱗だったのですが、この予告も(残念なことに)そうなんだよなあ……
 説明が下手でうまく言えるか自信がないのですが、私が抱えているのは、つまり、この作品……だけでなく、元になった歴史学者デボラ・リップシュタット氏の見地、ひいては「ホロコーストそのもの」は、本来否定するか肯定するかの対立軸上に置いて論じられてはならないのではなかったのか、という懸念です。この論争における焦点は「否定か肯定か」ではなく「否定を主張する者の根拠を否定する」ことであって、否定するか肯定するかという二択を呑んでしまった時点で否定論者の土俵に乗り、かつ負けてしまうことになるのだと。作品の中でレイチェル・ワイズ氏が演じたデボラは何度もそこに誘い出されそうになり、その度に法律家であるアンソニーアンドリュー・スコット)やリチャード(トム・ウィルキンソン)に強く制止されます。嘘に対して感情や良心を闘わせてはならない、その土台を崩すのだと。
 本編は彼らが「土台を崩す」までの奮闘が主題なので私に付け加えられることは何もないのですが、この原則を踏まえて邦題とトレーラーを見ると、これらが「乗ってはならないその土俵」にしっかりと、あからさまに乗ってしまっていることがお分かり頂けるかと思います……。タイトルの「ホロコーストは実在したのか?」は勿論、二つの字幕、0:47「ホロコーストが実在した事を証明する」0:55「それ(アウシュビッツ絶滅収容所であったこと)を証明するためにここに来た」に至っては実際に作中で彼らが行った答弁の根幹の真逆に向かうもので(当然本編では全くそのようなことは言っていない)、配給側は作品の趣旨だけでなくホロコースト否定論が危険視されている理由を理解しているのか・観客に理解を促すつもりはあるのか、と疑念を抱かざるを得ませんでした。今「もう一方の真実」「様々な視点」などと言われて決して歪めてはならないものが脅かされる時勢だからこそ、本当に、この主題に対してもっと慎重に対応してほしかった、というのが正直な思いで、残念でなりません。

 純粋に本編に対して。基本的にはトム・ウィルキンソン氏の熟練の芝居とティモシー・スポール氏の怪演(と言ってもいいと思う)が最大の見どころかなあと思います。またレイチェル・ワイズ氏はとてもリップシュタット氏本人の姿、特に喋りかたを意識したんだろうなと。アンドリュー・スコット氏は物語の進行役ポジションに着いているのでもっと影が薄くてもおかしくなかったところ、動作の端々に妙な人間臭さというかそれすら超えた生々しさがあって、つくづくただの脇役で収まらない役者さんですね……
 プロットが「ホロコースト否定論者による訴訟への反対主張」に集中していて、実際にそれが起こったときに同じく大きく取り沙汰されたであろう「言論の自由」の観点からの論争(勿論その批判はこの件においては的外れですし否定論に与するもので受け入れるべきではありません)が終盤にほんの少し言及されるだけだったのはちょっと不自然な気もしないでもありませんが、変にテーマがぶれることはなかったのでつつくところではありませんね。

 厳密な作品への感想とは言えない実感として、メディア、というか、センセーショナルさを求める「大衆」が、どれだけ「嘘」を肥え太らせているんだろう……と、見終わって粛然としたというのが素直な思いでしょうか。


 余談ながら、実は映画の存在より前にTEDの動画でデボラ・リップシュタット氏を知ったもので、せっかくなのでご紹介を。軽妙な語り口の講演ですがずっしりと重くもあります。