反響室の中と外

反響室の中と外

Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

「ダンケルク」/ヴォイド

Title: Dunkirk (2017)
Countries: UK / USA
Direction: Christopher Nolan
Writing: Christopher Nolan
Cinematography: Hoyte Van Hoytema
Music: Hanz Zimmer

 
【定型文】本文の前に:
・このブログの映画感想記事は個人の所感を記録することに特化しています。
・基本的に公式宣伝やインターネットなどで触れられるあらすじについて改めて言及しません。数多ある感想ブログの中ではかなり不親切な部類に入ると予想されます。
・息を吸って吐くようにネタバレしたり作品の見せ場について濃ゆいコメントをしたりします。ご注意くださいませ。

 

 映画の感想というよりは悔悛である。ただブログの記事として残すのであれば自分にとってこれがいちばんよいように感じられたので、そのままその懺悔のような見苦しいものを書き残しておく。

 ツイッターでの当方の動向をご覧になっていたかたはおそらくご存知の通り、この数ヶ月、大変楽しかった。楽しかった、のだ。私は間違いなくこの作品を楽しんでいた。狂喜していたとすら言える。
 それが最大の問題だった。

 本作を作り上げた監督の姿勢をどう捉えるか考えるとき、必然的に私は「物語」の定義を考え、また「よい物語とは何か」を考えなければならなくなる。
 世の中は物語で溢れかえっている。現実か架空かを問わず、秩序だったものか散文的なものかをも問わず。
 私は今まで、映画とは、それがどんな形のものであれ「物語」を紡ぐものだと思っていた。一般的な(規模の大小に関わらない)ストーリーもののみならず、ドキュメンタリーや記録映画にも物語は存在する。どの順序で出来事を並べ、何を関連づけ、そして、「観客に対して何を主張するか」。その制作側からのメッセージを受け取ったとき、私はそれを噛み砕き感想の形に落とし込んできた、はずだ。

 本作において、クリストファー・ノーラン監督は題材となった史実に関する主義主張をしない方針を取った。各所のインタビューでも既に本人が宣言しているそれに関して、一観客がとやかく追及する気はない。
 ただ、致命的なのは、私自身が、(個別の登場人物のエピソードではなく)総体として「主義主張のない」この作品から適切な距離を置くことができず、それどころか消費した事実である。
 戦争を題材にした作品は大量にある。それらに言及することすべてが問題だと言いたいのではなく、本作に限っては、「主張がない」即ち私のそれまでの価値観においては「物語とは呼べない」、つまり結果的には戦争を扱った「映像・音響エンターテインメント」以上でも以下でもなくなった(※この点においては異論が多数上がるであろうことも予想しているが)ものに、あれやこれやと理屈をつけ、また時に勝手に「物語の皮」を被せて楽しんだことが「私の」問題だ。
 私はこの作品の技術を楽しむだけでなく(それは「エンタメ」の楽しみ方としては間違ってはいないのだろうが、そもそもこれをエンタメ化してよかったのか否かという疑問は正規の批評家に譲る)、手前味噌な理想を投影した。これはもう解釈ではなくて単なる妄想で、しかもそれを自覚しないままそこに油を注いで燃え上がらせていた。日頃注意していたはずの倫理観や社会的正義を問う姿勢を放り出して。
 私が懺悔したいのは、未だにとっ散らかっているが以上のような私の無自覚である。

 今後も私は「ダンケルク」について呟くだろう。この映画によって映画そのものの見かたが変わったのは事実で、言語の学習者の隅にいる者としても本作に惹かれたことも否定はできない。
 けれど同時に、自分が「楽しいもの」を前に己の判断基準をも捻じ曲げるような人間であること、またそれに気がついたのが遅すぎることを忘れるべきではないし、きっと忘れたくても忘れられまい。
 最終的にこの作品は、私にとっては刺激的で美しい「虚」だったのだと思う。自分の中の矛盾すら剥き出しにさせるほどの力を持った虚に、おそらく私は負けたし、呑まれた。それも喜んで。