反響室の中と外

反響室の中と外

Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

遡る話

 映画の話がまったく絡まない、個人の回顧録(悔悟録とも言う)です。セルフコーピングにつきさらっと読み流してやってください。
 予想以上にまだまだ整理がついてませんが書いただけでもよしとしよう。

 

 
 いわゆる日本の「社会人」のカテゴリからはみ出て一年と少し経った。何がどうしてそうなったのか何度か記録しようとして挫折していて、それでもいいやと思っていたのだが、やはり言語化しておく、せめて物事の客観視を試みるだけでも必要なのではと気を改めた。
 と、自分の尻を叩いたものの始まりがわからないので、終わり、つまり現在に近いほうからきりのいいところまで遡ってみようと思う。不必要な脚色をしたくないというのもあるし。

 一年前、ひとまず期間限定のつもりでトロントに引っ越した。別の国に生きる人のものの考えかたや生活のしかたを学びたいとか英語でコミュニケーションが取れるようになりたいとかいくらでも希望に満ちたことは言えるけれど、その手のきれいごとを取っ払ってしまうと、結局は前職を辞めてあの業界・職種から逃げ出したかったのだ。
 そう思った直接のきっかけは、退職の更に一年弱前、2016年の春に内臓をやられて短期入院したことだった。原因は諸々。勤務中、緊張状態下で食事をパスしがちな生活を数年続けて免疫力が落ちていたのが遠因だろうなという感じの。
 仕事を辞めてトロントに行くことを最初に伝えたのは精神科の臨床心理士だった。「よかった」と言われた。ただ休みが欲しいと言うかと思ったと。もちろんそれでもいいのだけれど、「何かしたいから辞めると思えるなら安心」と。
 その病院には仕事を辞めるまで計三年間ほど通っていたと思う。躁鬱症状の疑いが出たあと、軽度の広汎性発達障害と注意欠陥障害の暫定診断(アンケートとIQテストのみ。脳波等の検査はしていない)が下り、対症療法として軽い投薬とカウンセリングを受けていた。
 病院に通うようになったのはあまりにも仕事がうまくいかなかったからだった。いつまでも同じミスを繰り返す。ひとつのことが気にかかると残りのことに手がつかない。マルチタスキングができない。プレッシャーがかかればかかるほどパフォーマンスが落ちる。ついでに人間関係も希薄だったし、本心ではそんなもの煩わしく必要ないと思ってさえいた。もちろん大変にお世話になった人たちもいる中でそんなことを言うのは傲岸不遜もいいところなのだが……。それでもなんとか真面目でやる気だけはある若者、を取り繕ってまあまあ周囲に一定のことはこなす人間と認識された矢先の上記の体調不良だった。
 ……先に音を上げたのが身体でよかったと思う。精神だったら、今こうしてブログ記事を書けていたかどうかも分からない。

 改めて振り返ると、あの仕事に執着するだけのメリットがあったとは思えない。だからここまで続けたのは努力ではなくて多分惰性だ。体のほうが付き合いきれなくなったらしい。私らしい話といえばそうかもしれない。
 もしこれを読んでいる人が似たような状況にあるなら、そこまでする義理はない、と言わせてほしい。仕事で稼いだ金を、その仕事を続ける為の医療費にかけるのははっきり言ってばかばかしい。
 自分の体験を披露して同情を集めたいわけではない。なぜならこれは完全なる無駄だからだ。私のようにはならないでほしい。
 どうしてこうなるまで放っておいたんだ、と問い詰められると、一にも二にも自分の状況が見えておらず言語化できていなかったからというのに尽きる。まさかそこまでぎりぎりの体調になっているとは思わなかった、それほど精神的に問題があるとは思わなかった、なによりここまで仕事ができないと思っていなかった、がんばれば、時間をかければ、回数をこなせば、なんとなかると思っていた……
「できた」ときの成功体験が大きいほど、「できない」という事実を認めるのはつらい。自分が無価値に感じられるから。でも、だからこそ、「できない」と立ち竦むときの感覚には注意を払ったほうがいいのだと思う。もしかすると、それは、あなたの全身が発する警告かもしれないからだ。私自身それを無視してしまったせいで、肝心の気のつけかた、気がついたあとどうするかについて提案できないのが申し訳ないのだけれど。

 これからどうするかはまだ決めかねている。この歳で欠陥だらけの自分を引きずっていることを理解するのはなかなかきついものがあるが、身から出た錆と言うしかない。
 とりあえず人間の皮を被り直して、明日も息をする。