反響室の中と外

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Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

「復讐」はDVを解決するのか?(否)及び、フィクションと社会問題のこと

ドメスティックバイオレンスがどのようなものかについて概要を記載しています。ご注意ください。

 

 

 

 

 虐待されてきた女性が男を殺すというプロットはよく見るしそれが物語上の解決策や救済として演出される作品も少なくないという体感はあるが(例示する気力は今はない。すみません)、それは当事者にとってはほんとうに解決策なんだろうか? 自分が殺される/不可逆的に傷つけられ放り出されるという最悪の結果のオルタナティブであるだけの、これもまた最悪の結末なのではないのか?
 DVは単に殴る蹴るのみが問題なのではない。「支配」の暴力であることが要点である。時間の自由、経済的自由、言動や感情表出の自由、性行為における自由つまり決定権、人間関係の自由を奪われ、己が価値ある人間であるという誇りを奪われ、自己コントロール力を奪われることが「ドメスティックバイオレンス」なのだ。
 DVというのはそもそも閉じた関係の中での強者から弱者への暴力であるので、これを阻止・解決するには、第三者が、ひいては社会が、DVを「個人と個人の間の物事」として矮小化し目を背けるのではなく、自分たちの生活の中にある問題として注目し、加害者や被害者が発するシグナルを常に注意深く察知するよう努め、介入し続けなければならないのであり、加害者になされるべきは個人的反撃よりも、加害の事実の社会的認知と法による制裁である。
 そしてDV被害者支援の観点からいえば、サバイバーにおける一定の解決=回復のポイントは奪われたものの再取得にある。もちろん、本人の心情から見た際に加害者からのこれ以上の干渉を防ぐ意味での「相手の無力化」あるいは感情からくる復讐が無意味ではない場合もあろうが、あまりに失うものが大きいうえ、相手の殺害によってその後の人生を規定されるのであればそれは支配の続きと変わらず、よってイコールで救済になるわけでもない。加害者は被害者からあらゆるものを奪うが、理不尽極まりないことに加害者がそれらを「返還する」ことは起こりえないからだ。DV被害からの回復には長い道のりを要する。生き続けることと取り戻し続けることが同義だと言ってもいい。加害者に反撃し、命を奪ってめでたしとは現実世界ではなりえない。人間はそんなに単純にできていない。
 長々と書いたのは、加害者は被害者にそれだけのことをしていて、社会ぐるみの関与が必要で、DVというのはそれほどのことなのだと、前提を置くためである。

 

『テネット』は、製作陣がDVをプロットの展開のための小道具としてしか扱わなかった、「それほどのことであるという意識」を持っていなかったことが明らかだから問題だった。
 もちろん本作はフィクションであり、DV被害への啓発を目的とした作品ではない。が、だからといってそれが、そこにあるべき尊厳を軽んじていい免罪符にはならない。社会問題を小手先のギミックとしておもちゃにするなら、それに見合った批判を受けて然るべきだ。「ノーラン監督作品だから」許されるわけでも、「これまでのノーラン作品だってそうだったから」今後も許されるわけでもない。私は、2020年にもなってこの要素をまともな調査も内省もないまま一般公開する、現代社会を生きて映像作品をつくり続ける製作者たちの広義のメディア人としての問題意識のなさ・当事者意識のなさを批判している。
 ドメスティックバイオレンスは社会問題だ。支配の暴力をこんなにも軽んじた作品が当事者たちを不意打ちのように傷つけたこと、そしてなにより、この社会問題の深刻さを認識していない製作者からこの社会問題の深刻さを認識していない観客にこの社会問題が小道具として提示されることで、現実として存在するDVをも矮小化し、現実のサバイバーたちの声を軽んじ侮る動きが実際にあることが問題なのだ。

 

 個人的な恨み言になるが、私にとっては本作が、半年ぶりに映画館で見る新作映画だった。1時間に数本も走っていないような鉄道とバスを朝から乗り継いで、片道3時間かけてたどり着いた劇場だった。ほかに見たいと思える映画もかかっておらず(洋画はこの作品を含めて2本のみ)はしごすらできなかった。帰りは待ち時間を含めて4時間を要した。その結果がこれだと思うとため息も出ない。
 正直なところ、こうしてこの作品について言及することで、この作品を「話題の作品にしてしまう」ことにさえ心底嫌気が差している。ほかの部分、全般的なプロットやストーリーテリングあるいは各種ファクターや持ち出される属性についてもあまりにも粗くありきたりなこの映画を考察したいと思わないし、一刻も早く記憶から葬り去りたい。この作品にいかなる権威も付加価値も付与したくない。
 もちろん私のこの反応も含めて「個人の所感」である。私とは逆に、アクションやキャラクターや細かな設定などを確認したい、映画を楽しみたい/楽しんだ観客がいるのは普通だろう。今の状況下で映画館が生き残るためにはとにかく映画館に人が足を運ぶことが重要という意見があることも知っている。そのいずれも否定しない。否定はしないが私は上記すべての理由から賛同もしない。それは価値観の違いであって、私に他人のそれに口を出す権限はないし、同時に誰にも私にもう一度この映画を見させること、この映画のためにこれ以上金銭を支払わせることはできない。

 

 ただ、もし、これらの意見の中間で葛藤している人がいるなら、その人には、ドメスティックバイオレンスがどのような問題なのか改めて調べることをお勧めしたい。ネットフリックスには『アンビリーバブル たった1つの真実』があるし、Amazonプライムなら『サバイビング・R. ケリー』を見ることができる(※どちらも深刻な虐待を取り扱っているものです。トラウマを誘発する可能性がありますのでご自身の状態を鑑みたうえで視聴するかどうか決めてください)。あるいは、手前味噌だが私も今年の初めに俳優・モデル・ミュージシャンで活動家(DVサバイバー)のエヴァン・レイチェル・ウッドと作家(性暴力サバイバー)のシャネル・ミラーの対談記事を訳した。知識を得たうえで映画を映画として見、あるいは見るかどうかの判断をしてもらえたらと思う。

 ウッドが2019年にカリフォルニア州議会で行ったDVに関する証言の動画をリンクしておく。音声英語、字幕も英語のみだが、単語だけでも拾ってみてほしい。

 


Evan Rachel Wood testifies in front of CA Senate on behalf of Phoenix Act

 

www.netflix.com

www.amazon.co.jp 

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