反響室の中と外

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Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

韓国朝鮮語学習と自分、言語を通して見えるもの

 

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 この記事は、昨年も参加させていただいた、はとさん @810ibara によるウェブ企画「ぽっぽアドベント」の17日①の担当記事です。今年はアドベントカレンダーが3つ立てられていて、同日にはたっくまさんまっくるGさんもご担当されています。共通テーマは「変わったこと/変わらなかったこと」。

 去年もそうだったんですが主催のはとさんの企画運営における心配りが半端でないので、とりあえず今すぐAmazonの欲しいものリストを公開してほしいな……などと若干押しつけがましいかもしれない願望を抱いています。賛同者待ってます。

 


 4月から韓国朝鮮語*1学習を始めました。いちおうまだ洋画洋ドラマクラスタにいるがために韓国朝鮮語を使いこなす人ももりもり学習中の人もなんならネイティブスピーカーもたくさんいるので今更この言語を勉強していることを表明したところでなにを……? と自虐に走りたい誘惑に駆られるのですが、小中学生の頃の夏休みの宿題は好きな科目を最初の数日で終え面倒な課題は9月2日から取り掛かり、日記の類は大部分をでっちあげ、かつこれまでの人生で衝動的に編みものやら組み紐やらに取り組んではひととおりこなしたところで興味をなくし、ダンスもピアノのレッスンもラテン語もフランス語も数か月も続かなかった筋金入りの計画性無し&飽き性の人間が、途中で半分投げつつもとりあえず1年弱ひとつの言語を誰かからの対面指導もなしに継続的にやっているというなら、それだけでも賞賛に値すると言えなくもなかろう。
 というわけで、これは私のような情熱が激しく一過性の人向けの学習体験記です。ぽっぽアドベント2020のテーマとしてはこれだけなのですが、否応なく考えることが増える題材でもあるため、一旦締め括ったあと更に下に続いています。そちらまでご覧になるかどうかはお好みでどうぞ。そういえば去年ぽっぽアドベントにお邪魔したときも前後編構成にしたわね。手癖なのかもしれぬ。
 しばしお付き合いください。

 

 

韓国朝鮮語学習と自分


学習ツールについて

 学習ツールの選定は継続如何にかかわる重大なテーマです。なぜなら私は己がちょっと奮発して教科書を買うと確実にその時点で満足しきって内容に手をつけない最悪のものぐさであることをこのン十年の人生で嫌というほど知っているからです。また、学習開始時点ではハングルの構造をなんとなく理解してはいるものの音と文字の結びつきがほぼない状態であり、言語学習教室に通うレベルにも到達していないと判断しました。
 で、狙いをつけたのが超王道かつできるだけお金のかからない学習サービスであるところの「NHKハングル講座」です。ちょうど年のはじめに、韓国朝鮮語のできる友人がしっかりカリキュラムをこなせば基礎は充分に身につくであろうと請け合ってくれたことも大きかった。
 もうご存知のかたは読み飛ばしていただいて構わないのですが、NHKが提供している講座にはテレビとラジオでいくつか異なる学習プログラムがあるので、その種類やシステムについて簡単に紹介します。
 
Eテレ
テレビでハングル講座 毎週水曜23:30~23:55(25分間)
 4月から翌年3月までの1年間プログラムです。今年は新型コロナウイルス感染症の影響で収録が中断し、6・7月は4・5月の再放送になりました。新しくプログラムに参加するタイミングが2回に増えたのは結果オーライなのかもしれませんが、12ヶ月分の内容が10ヶ月あるいはそれ以下になってしまうのはちょっと痛い。内容が減らされたのか詰め込まれたのかどっちなんだろう。
 NHKは一度新作プログラムを収録・放送すると同じものを何年か再利用するのが通例のようなのですが、今年新作を立ててしまったのは運が悪かったのでしょうね……。短縮プログラムなのでたぶん来年度への流用も無理でしょうし。などといらん詮索を巡らせたりしている。
 
【ラジオ第2】
まいにちハングル講座 月曜~金曜8:00~8:15(15分間) 1週間遅れで期限付きオンライン配信あり

 こちらは4月から9月までの半年プログラム。例年後期は前期の再放送でした。が、こちらもテレビと同じく中断。6月から8月はそれまでの3ヶ月分の再放送となり、残りの3ヶ月分は10月から放送開始となりました。こちらはテレビのような内容短縮はないと判断できるので、復習のスパンが変わっただけととらえればいいのかも。ただし、半年スパンで契約したテキスト通販を途中キャンセルできなかったために巻末のコラム以外すべて同内容のテキストを2部ずつ持たされることになってしまったのには若干釈然としない思いがあります。都会などの大きな本屋なら普通に在庫があるところも多いと思うので、買い忘れの心配さえないなら毎月買い足したほうが安全かもしれません。
 
・おもてなしのハングル 木曜・金曜10:30~10:45(15分間)
 これも半年スパンのプログラムで、こちらは昨年度以前のものの再放送だったようです。放送枠は前期だけで、後期の放送はありません。私はこちらには参加しなかったので詳細はどなたか学習されたかたに譲ることにします。
 
 いずれの番組もその週のうちに何度か再放送があって、自分に都合のよい日時を選びやすくなっているのではないかなと思います。
 
 
 詳細は後述しますが、10月からはHANA韓国語教育研究会による「多読多聴の韓国語[初中級編]対訳韓国の人物」というテキストを買い足して不定期に開きはじめました。最近また停滞してますが……。あとDuolingoのコリアンプログラムを、継続日数を更新することをほとんど唯一のモチベーションにちまちま毎日最小単位をこなしています。

多読多聴の韓国語[初中級編]対訳韓国の人物 | HANAの本 | 韓国語のHANA

Duolingo


目標

 メインの学習ツールとしてラジオの「まいにちハングル講座」、バックアップとして「テレビでハングル講座」、遊び程度のつもりでDuolingo、気分転換に「多聴多読の韓国語」というなんとなくの位置づけでやっています。
 目標は「予習復習などと高望みせず、とにかく最低限のことを毎日やる」。
 前述のとおり、最大の問題は自分の気分のムラだと痛いほど承知しているので、もう同じ轍は踏むまいという固い決意をもって「まいにちハングル講座」(とDuolingo1回分)を「最低限」に設定しました。まいにちハングル講座であれば、一日15分で週5回、仕事や体調や単なるさぼりなどの問題で休んでしまっても二日ぶんのバッファがある。なによりよかったのが、言語講座は一週間の放送が終わるとその5回分の内容がアプリ・ウェブサイトで次週から1週間配信されることでした。ラジオ放送を時間を合わせて聞くのは生活の都合上できそうになかったため、ウェブ配信を一日の好きな時間に1課ずつ聞いて勉強しています。1週間が過ぎると新しいものに更新されてしまうのでドロップアウトしないための適度なプレッシャーにもなる。テレビ講座のほうは録画(最近ではNHKプラス(受信料契約者用無料ストリーミングサービス)を併用)しておいて休日に学習するようにしました。予習復習はしないと割り切っています(笑)。多聴多読~は休み休みですが好きな時に数行ずつ書き取りをして辞書を引き、CDナレーションでリスニングとシャドウイングの練習に使っています。そもそも韓国・朝鮮についての基礎知識があまりにも少ないので、特に古代~中世までの人物伝に触れることで近現代史より前の歴史の概要を掴みなおすきっかけにできればいいなと。
 そんなわけでこの方式でよかったこと不満なことを少しまとめます。一般化はできないので個人の感想としてどうぞ。

 
よかったこと・微妙なこと

よかったこと

①とにかく「まいにちハングル講座」が続いていること……
 費用・サービス面で取り組みやすく、1回の内容が少ないためにかろうじて続けられているというのが正直な実感ですが、継続しやすいというのは言語学習で非常に大事なところだと思うのでこれはつくり手がほんとうによくわかっている……。まいにちハングル講座は長いやりとりの会話はないので物足りないと思う人もいるかもしれませんが、文法の基本的なところの説明がほんとうにしっかりしているので、今のところ韓国朝鮮語コンテンツの動画を漁ったりビンジウォッチするなど動向を追いかけたい対象がない自分としても取り組みやすいオーソドックスな学習法だと感じます。
②複数のプログラムを並行するメリット
 最初、ラジオとテレビを併用するのはハードルが高いかなあと懸念していたのですが、むしろ同じ基礎レベルからスタートしつつ学習順や説明のしかたなどが講師によって異なるプログラムに触れることで、一方が他方の復習になったり学習理解になったりする効果を感じられてかなりよいです。
③やっぱり情報接触量が多いこと
 これは直接的な学習とは関係ないんですが、タイムラインに韓国映画やKPOP・韓国文学ファンのかたが多くハングルで書かれたツイートやアイドルさんたちの動画の切り出しなどがよく流れてくるのはやはり大きい。みなさんの顔と名前をほぼ存じないままにやたらと繰り返し再生して愚直に単語を覚えようとしている。助かっています。
 
ちょっと微妙なこと

①Duolingoを英語で学習するのがしんどい
 Duolingoを触ったことのあるかたはご存知かと思うんですが、韓国朝鮮語を勉強しようと思うと学習のための言語が英語しか選べないんですよね……。せっかく日本語と語族の近い言語なのに概念からしてかなり遠い英語を介して作業しなければいけないのにイーッとなってしまうんですが私だけですか。深く考え始めるととてつもなくストレスなのでもう簡単な名詞動詞形容詞になんとなく触れることばかりを目的にしている。
②テレビでハングル講座のスキットシリーズが……面白くない……
 個人の好みの問題ですほんとうにすみません。使える表現を学べれば十分のコンテンツにそこまで求めるものじゃないし学習のキーフレーズに合わせようと工夫していることもわかってるんですが、いい年した男二人が女の子の気を引こうと張り合う基本設定とかなんかもういいな……と(遠い目)。もちろん出演者に非はない。チャン・ウニョン先生の解説やKさんの絶妙な用例がわかりやすいだけに非常に残念だが、もし来年度もこの方向性なら別の教材への乗り換えを検討するわ……
 
 まあ、なんでもやってみてわかるものもあるということにしておきましょう。すべての人に必ずウケるコンテンツはつくれないからね……。あと日本語で学べる韓国朝鮮語学習のいいアプリがあったらそれも入れてみようかと思います。
 


効果と進捗

 もよもよ細かい文句が出てしまうのはツールとの相性の問題として、韓国朝鮮語学習は大変面白いです。何が面白いって私の第一言語である日本語との近さが面白い。英語がもうちょっとできるのでつい英語と比べてしまうんですが、世界で最も普及してるからってこんなややこしい言語に8年*2も付き合うの、とっかかりのひとつもないと大変だったよね……とうっかり英語系科目の成績が万年5段階評価の3にかろうじて引っかかっていたあの頃の自分の肩を叩きたくなってしまうくらい距離感が違う。申し訳ねえ、英語も4, 5年くらい前にやっと面白みがわかってきたところなんです……。ややこしいからこそなんでも覚えやすい子供のうちにやっといてよかったんだろうなとも思うんですがそれはそれ。
 漢字語の推測はしやすいし日本語と同じ膠着語だしで、もう桁違いの親近感が。こういうところは中国語(北京語)ともまた感触が異なっていて興味深い。ベタかもしれませんがいちばん感動したのは「こそあど」이、그、저、어느と「見る、~みる」보다ですかね。あと助詞のつけかたが同じだった(「〜には」에는など)のにも衝撃を受けた。もちろん近いところばかりではないので学習するにしても気をつけなければならないし、安易な親近感だけでやっていける歴史上の関係でもないのですが、それにしても「言語を学ぶ」のアプローチが対象言語によってこんなに違うことを今更まざまざと体感させられてにやつきが止まりません。楽しい。
 
 肝心の習熟度ですが、ぜんぜんまだまだです(言い切った)。理由は単純で、アウトプットの量がまだまったく足りないから。書くにしてもしゃべるにしても、問題集をリピートしたり与えられた単語から文章をつくるだけではなくて、自分で言いたいことを構成しないとやっぱり身につかないなあと実感しているところです。とはいえこれもある程度文字や基本の文型に慣れたり頻出単語や用例を覚えたりなどのインプットあってこその話なので……というのを別言語の学習の挫折から学んでいるので、基礎の基礎を固めているところだと思ってあまり焦らないことにしています。とりあえず今年度は今のペースをきちんと維持して後半パートの復習に努め、オンラインレッスンなり韓国朝鮮語会話教室なりに通うとしたら来年4月以降ですかね。あと『パチンコ』ドラマ化や評判がよかったというドラマ『マネーゲーム』の配信などを大変楽しみにしています。
 再来年くらいにはまた韓国にも遊びに行けるといいなと願いつつ、準備期間としてなんとかこのままフェードアウトせずにやっていきたいところ……言語は筋肉だぞ(使わないと衰えるの意)……。

 

まとめ

 そんな感じで初学者の最初の1年もとい9ヶ月でした。あと3ヶ月も復習。楽しいねフフフ(オフロスキー顔*3で)。
 ……いまいち楽しみポイントがニッチすぎて韓国朝鮮語に興味があるかたに訴求できている自信がないのですが、まあ上記のとおり人におすすめできるほど身についてすらいないし、そもおすすめを目的とした記事じゃないしということでご了承ください。でもこの記事で来年からちょっと自分もやってみようかなと思ってくださった飽き性のかたやお休みしてたのをまた再開しようかなと思ってくださったくすぶり中のかたがいらっしゃったらものぐさ筆頭として大変嬉しい。私はいつまでも同じところをぐるぐる回っていると思うのでさくっと追い抜いていろいろ教えてください。まいにちハングル講座のチョ・ウイソン先生はいいぞ。(ダイレクトマーケティング

 

 腹を割った話、勉強はもちろんいろんな形で日常の習慣を見直したり、今年のはじめまで若干無理してやりくりしていた映画鑑賞のための毎月の遠征から否応なく離れざるを得ない暮らしになってしまったことにある程度諦めがついて余裕ができたりしたため、ごくごく個人的なことを言えば、私にとって2020年は「それほど悪い一年ではなかった」んですね。
 でもそれは、私が新型コロナウイルス感染症の流行地域在住ではなく、行動範囲さえ広げなければほとんど神経質になることなく生活でき、親族もとりあえずのところそれぞれ自活しており、かつ、自分は経営難の方面にも業務多忙の方面にも大きく振れることのない職種の正社員で、ひとまずフルタイムで働ける程度の心身の健康を維持できており、無期限のリモートワークを命じられたり逆にリスクのある中/リスクの中へ出勤せざるを得なかったりする事態には今のところなっていないからであり、それは即ち政府や特定地方自治体の行政の無策や暴挙に大きく振り回されずに済んでいるからであるということは、はっきりと認識しておかなければいけないと思います。人それぞれ受けている影響の量や質は絶対的に違うはずで、でもそういうことをみなさんきっと、フィジカルな発話としてもネットへの投稿としても毎日わざわざ言及することなく切り抜けておられるんだろうな、と。それだけにフォーカスするとしんどすぎますから。
 そういうことを改めて考えたうえで私にできることは……まあ、余裕と気力が多少ある人間として政党や行政やメディアに言うべきことを言う以外にはほとんどないんですが、それでもやっぱり、ここを読んでくださっているみなさまに、「一年お疲れさまでした」と伝えられればいいなと思っています。

 この一年、ほんとうに大変でしたね。よく諦めきらず生きてこられました。それだけで自分を大事にしたと言っていい。お疲れさまです。
 どうか少しでも穏やかなクリスマスと年越しを。来年がもういくらか過ごしやすい一年になりますように。

 

 明日のご担当は、いきゅみさんあいはらさん手芸センターポリスさんです。

 

 

 

 

言語を通して見えるもの

 

  韓国朝鮮語を学ぶことについて話すためには、まず私は私の第一外国語である英語学習について触れなければいけない。
 英語。今では小学生から必修になっているという「国際共通語」。教室で自然な発音を心がけるとトラウマになるレベルで冷笑されたのに、いざ就労する頃にはTOEICの点数が一種のステータスになっている矛盾。都会の電車の車内にこれでもかと貼られた英会話教室の広告。「語学力*4を伸ばそう」「我が子をバイリンガルに」などと熱く語られるがその言語がロシア語やベトナム語ペルシャ語スペイン語であったためしはない。「アメリカンアクセントはクールでブリティッシュアクセントもおしゃれだけど、オーストラリアはちょっとね。インドやフィリピンなんてもってのほか」。その言い回しネイティブにはこう聞こえます。ネイティブが教える本当の「英語」……

 4年前に仕事を辞め、英語と人生の修養を目的に一年半ほどカナダ・トロントに行った。カナダが唯一絶対の希望渡航先だったわけではなく、いくつか比較検討したうえでの選択結果ではあるのだが、あの当時の「英語」と「英語を公用語ないし意思疎通言語とする文化圏」に対する私の認識の解像度の低さを振り返れば、トロントを選んでいてよかったと心底思う。
 文化と歴史に根差さないことばはない。日本において一部ではまるで魔法かなにかのように崇拝されもてはやされている「英語」とて、文化と歴史に根差さない言語ではありえない。そしてトロントという街を構成する人々は、少なくとも公的に掲げる理想として、ありとあらゆるバックグラウンドの上に築かれた英語を等しく尊敬し受け入れるという確固たる倫理基準を持っていた。そこにはもちろん、私のひどいジャパニーズイングリッシュも含まれる。
 承認されてはじめて疑い始める。あの強迫観念的に押しつけられ疑問も持たずに呑んできた「英語」とは、いったい「どこの歴史と文化を背負って生きる」「誰の」英語だったのだろう。「アメリカ」だろうか、それとも「イギリス」? それはアメリカ合衆国グレートブリテン及び北アイルランド連合国のことか。そのふたつの国とて一絡げにできない英語の歴史を持っているのに? いったいどこの誰にニュージーランドアイルランドのアクセントを「正統」でないと断ずる権利があるだろう。ましてや移民たちが使う英語の訛りを笑う権利が誰にある? 彼らの歴史、彼らの文化、彼らの歩んできた決して平坦ではありえない人生を嘲る権利が?*5
 誰よりも私自身が己の視野の狭さと無知から一度ならず手痛い失敗をし、その度に恥じ入りながら、言語を学ぶ環境の中でその倫理を叩き込まれた。私が触れた「英語」ではないはじめての英語はカナダに息づくことばで、私が今でもこれからも使うのは、経済開発で激しく対立し*6、女性へのヘイトクライムに直面し*7、移民を受け入れ、マイノリティに対する行いに向き合い*8、ふたつの公用語を維持しようとし続けるカナダ社会の、迷いながらも互いに敬意を払うことを選ぼうとするその理念のかけらをもらった日本語訛りの英語だろう。もちろん少しでも通じやすいように絶えず努力する必要を痛感しつつ、しかしそれはこれからも一生拭い去れないであろう自分の第一言語の面影を忌避することとイコールではない。8年間の日本の「外国語教育」も巷に溢れる「英語」エリート主義も決して教えてくれなかった英語の世界の豊かさと暴力性を含む困難さについて、その一部でもこうして自分の言葉にして分析できるようになったのはむしろ現地を離れて以降に体験の記憶をその後の知識と統合したからだが、戻ってからもそんなふうに自然と考え続けられたことそのものに、ささやかながら憑物が落ちたような安堵がある。
 
 なんとか「完璧な英語」の幻想からいくらか脱したところで、私は必然的にもうひとつの当たり前の事実を思い知らされる。英語だけでは足りない。英語は万能の共通語などではない。誰かと言葉が通じなかったとき、悪いのは相手が英語を話さないからではない。私がその人の言葉を知らないからでもある。
 いちどフランス語(できればケベックカナダのフランス語)を選んだのはカナダという複雑な文化圏を敬慕しているからで、それは今でも変わらない。けれどいざ地理的に日本に戻ってきてしまうとフランス語は私にはやはり少し遠い言語で、またすぐに飛んで行けるわけでもなく、繋がりを保ち続けるのには予想以上に大きな努力が必要だと知った。
 2019年末に人生初の韓国・ソウル旅行に出かけたのは、友人に会うためでもあり、カナダ行きによって生まれてはじめてパスポートと共に手に入れた日本国外滞在の勘のようなものを忘れたくなかったからでもある。それから、映画『主戦場』や『タクシー運転手』『1987』ほかを見、小説『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ人間として、それまで遠ざけないにしても近寄らなかった韓国及び朝鮮半島の歴史、特に女性たちの歴史に少しでも向き合うためという、数日間の観光では達成されるはずもない、あまり人に見せびらかすものでもないずしりとした存在感に満ちた目的も小脇に抱えていた。
 ホスピタリティ精神溢れる友人に二人歩きの際のコミュニケーションを完全に任せてしまったことは不甲斐ない思い出として、当日運よく参加できた国立博物館の日本語ツアーで東アジアの考古学が専門のガイドさんに非常に親切にしていただいたことは学び続けるための意欲として。そして、日本大使館前の平和の少女像を訪れ、そこで座り込みを続けている若者グループのうちひとりとグーグル翻訳頼みで少しやりとりができたこと*9を、日本に渦巻く韓国・朝鮮及びそのルーツを有するあらゆる人に対する侮辱的・非人道的な言説に抗するきっかけとして。韓国という国、朝鮮半島韓半島)の歴史、韓国朝鮮語という言語が、一歩踏み込んで考えるべきものになる。

 

 韓国朝鮮語を強く意識し始めていた2月末に手に取ったアミン・マアルーフ著『アイデンティティが人を殺す』は、そのときの自分の状況を見透かすような本だった。
 アイデンティティについて考察する本書は、それが帰属への欲求の拠り所になった結果起きてきた対立の先鋭化、抑圧、戦争や虐殺にまで言及し、それらに終止符を打ち多様性を確保しながら共存し発展していくための鍵として言語の重要性を指摘する。著者は、アイデンティティの言語を第一の言語、グローバルな言語としての英語を第三の言語と位置付け、人にはその中間に第二の言語が必要であると説き、ドイツ人とフランス人、スペイン人とイタリア人などを例示しながら、コミュニケーション手段の英語化に警鐘を鳴らすと共に言語が持つ可能性を展望する。第二の言語とは「心の言語、養子とした言語、結婚した言語、愛する言語」になるだろうと。
 第二の言語とは、相互関係のための言語と言い換えてもいいのだろう。個々人のバックグラウンドによってそこにどの言語がいくつ入るかは異なってくる。国籍・人種・文化的に「日本人」であることを大きな葛藤なく受け入れられる今の私が日本社会を見渡したとき、豊かな相互関係を築きたい相手の言語として韓国朝鮮語を選ぶのはごく自然なことだと思えた。

 

 私にとって豊かな相互関係とは何か。
 2000年代以降、日韓合同ワールドカップや『冬のソナタ』『宮廷女官チャングムの誓い』、すぐに追ってきたK-POPブームなどをきっかけにして韓国の存在が急速に身近になった。観光やコスメ、グルメだけでなく、特にここ数年はより先進的な映像コンテンツや音楽産業、文学作品も高い注目を集め、私もその恩恵を享受している。エネルギーがある、質が高い、厳しい内部批判が活きている、価値観がアップデートされている。『冬ソナ』の頃「懐かしい日本の昼ドラみたいだから」などと評価されていた韓国コンテンツは、いつの間にか追いかけ見習いたい憧れに変わっている。
 それ自体に異の唱えようなどない。しかし、彼らが打ち出す確固たるステートメントを見、成熟していこうとする社会のありようを知るたびに、私はこれを手放しで羨む立場にはない、と口を引き結ぶ。
 韓国朝鮮語。韓国人、朝鮮人。日本が抑圧した言語と文化と人々であり、1945年の終戦後も陰に日にその言語とその言語を使う人、その名前を持つ人を嘲笑い排除してきた。嘘だとは言わせない。キム・ヨナ選手に対する誹謗中傷を忘れたとは言わせない。浦和レッズの一部のサポーターによるヘイトスピーチ垂れ幕をなかったとは言わせない。大阪市によるサンフランシスコ市への姉妹都市提携破棄を、あいちトリエンナーレで少女の像の頭に紙袋を被せようとした誰かを、朝鮮学校への支援除外を、DHC代表取締役が企業のウェブサイトで撒き散らした暴言を、今この瞬間もネットに溢れる憎悪と侮蔑を見て、「差別なんてない」などと私は絶対に言わせない*10。私と同じ属性を持つ人間による彼らの属性を持つ人々とその帰属への加害に背を向けたまま、彼らが犠牲を払いながら闘い勝ち取ってきた自由や権利、戦後も決して日本の政治・社会と無関係ではなかった彼らの歴史からも、日本という国の中にあっても己の出自と誇りを維持したいという人として最低限の尊厳さえ脅かしてきた——そして言及しないことで間接的に私も加害者側に回ってきたこの社会の有害さからも目を背けたままで、私はどの面下げて「韓国すごい」と言えるものか。

 私にとって韓国朝鮮語に取り組むことは、友人の言葉で友人と話し、映画や文学を吸収したい以上に、彼らの国、文化圏について学ぶ間口を広げそれらに敬意を払うことであり、同時に、自分が籍を置く国と社会の過ちと未熟さに向き合い、糾すべきことを糾すことだ。そのうえで彼らの視線をしっかりと受け止め、彼らが口を開いてくれることがあれば、それが何語のどんな言葉であれ静かに耳を傾けたい。

 

 日本大使館の前で問い合わせに応じてくれた一人にスマートフォンの画面を見せて質問をした。
「日本政府になにを望みますか」と。
 その人は自身の端末にこう打ち込んだ。
「謝罪と補償を」
 当然だと思う。もうひとつ問いかけた。
「日本人になにを望みますか」
 すると、こんなこたえが返ってきた。
「一緒に反戦と平和を訴えてほしい」

 

 このやり取りをアプリを介さずにできたならと振り返ることも、今日また床に沈みそうになる自分を叱咤してテキストを引き出す動機のひとつになっている。いつかプサンをドライブ旅行しようと誘ってくれた、日程上戦争と女性の人権博物館を来訪できなかった私に日本大使館前への訪問を提案してくれた当人であるソウルの友人、そして訪れたその場所で「一緒に」と打ち込んでくれたその人から付託されたものは、(本人たちには決して大袈裟な意図はなかったであろうが、それでも)ひとつの信用であったと言って許されると願いたいし、マアルーフが1998年に提唱し、2020年にやっと受け取ることができた共存への道のりのコンパスのようなその思想を、ひとりの市民としての私が解釈し実践しようとすることに、きっと意味はあると信じる。

 

 

*1:厳密に記法や発音規則・使用単語等によって峻別すると、私が学習しているのは「主に南朝鮮で使用されている言語」であって北朝鮮のそれとは微妙ながら確実に異なります。ただ、韓国の人々が自分たちの言語を指して「韓国語」と言うとき、それは朝鮮半島全土で使われている言語を示すため、必ずしも前者と同じ枠組みを示すわけではありません。一方、日本の学術分野ではそうした揺れを含めたこの言語群を「朝鮮語」として分類・研究している事実もあります。
これらの状況を加味しつつ、「朝鮮」という言葉が差別的ニュアンスを含んで言及されがちであるからこそそれに抗うことを主な目的として、本エントリ内ではこの言語を一貫してこの通り記述しています。南北間の政治関係に基づく用語使用の認識について、この文章を含め当事者やアドボケイト、研究者の皆様から誤謬の指摘をいただいた場合は最善の対応を心がけます。

*2:当時の義務教育〜高等教育のカリキュラムではこの年数でした。今も進路選択によって差が出ますが、多分最低でも9年……?

*3:NHK Eテレの子供向け番組『みいつけた!』ミニコーナー登場キャラクター。セレクションDVDも出ているらしい。
奇しくも先日Eテレの周波数帯を売却するなどという「識者」の論説が盛大に燃えましたが、万が一Eテレを潰したらこうした言語学習へのアクセスも更に資本化されることになってしまいます。万人に開かれた教養と知は民主社会のインフラです。充実させることはあれど決して削り取ってはならない。(同時にNHKの政治報道の政権監視能力の喪失や視聴率重視の経営方針を非常に苦々しく見ており、これをもってすべてを擁護することは決してありません)

*4:そもそもこの文脈において特定言語の能力ではない「語学」力とは……?

*5:「ブリティッシュ」も「アイルランド」も既出のその他の例示も考えれば考えるほど乱雑で一方的なレッテル貼りに違いなく、自分で書いていて途方に暮れる部分でもありました。そして翻って日本人=日本語幻想や日本単一民族幻想のいっそ無邪気なほどの暴力性にも。でもそこにも向き合っていかなければいけない。

*6:【カナダ】政府委員会、トランス・マウンテン・パイプライン拡張計画承認。著しい環境破壊の可能性認めつつ

*7:Trial of man accused of Toronto van attack to decide criminal responsibility

*8:トルドー首相、カナダの過去の性的少数者差別を謝罪

*9:この来訪、また本文最後に抜粋しているやり取りの一部については、現在も朝鮮半島に大なり小なりのアイデンティティを有している方から見た場合、非常に侮辱的な側面を有していることを行為者として理解しています。ここに至るまで・その瞬間・それ以降に私が考えていた/きたこと・判断・選択のすべてはここでは開示していませんが、非難あるいは軽蔑を受けることがあったとして、一切の弁明もまた行わず、ご意見を伺う準備があります。そしてもうひとつ、私と同じようなバックグラウンドを持つマジョリティとしての「日本人」のみなさんに向けて、私のこの行為は「善意」でも「誠実さ」でもなんでもない、ただ一人の”私”の、このときそれ以外に取りようがなかった行動でしかないことは明示しておきたいと思っています。

*10:今韓国・朝鮮に生きる人へのヘイトと在日コリアンへの差別は対象及び質が異なるもので、厳密にはそれぞれ分類したうえで反論・批判すべきです。ただし、前者を差別する人間と後者を差別する人間の層、及びその論調が観測する限りほぼ同じであることから、ここに限ってはそれらすべてに対してNOを明確化することを優先しました。