反響室の中と外

反響室の中と外

Twitterまとめや書ききれなかったこと、映画の感想、日々の妄言等々。

2020年に読んだ本の一部の所感

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 2020年の6月くらいからやるやると言いながらまとまるかどうかわからなかった読書紹介文、できました。

 学生の頃は日本の現代小説をよく読んでいたのですが就職後はとんとご無沙汰になり、いろいろあって現在の環境に落ち着いた2019年に14冊しか本を読まなかったので、もうちょっとたくさん読んでみようと思ったのが2019年12月。ちょうど居住地の図書館の蔵書の充実度に気がつきつつあったのと、近所の個人書店のラインアップがどんぴしゃで興味の方向に合っていたのも動機づけになりました。とりあえず1ヶ月に最低2冊と目標を立てて #2bks1m (Two books in one monthの略)という自分用タグでちょこちょこログを取っていました。一年の後半になってから突然読める量が増えたのは本が面白かったからなのはもちろん、ありがちなおたく的のめり込みとも言う……
 おすすめの本のタイトルは既にTwitterアカウントのほうでも連呼してしまっているのですが、改めてまとめて確認できるようにしてみました。もっと紹介したい本もあるものの著作数としては19作までなんとか絞った。テーマごとに分けたものについては同じ項目で評論と小説をひとまとめにしたりもしています。ご笑覧ください。

 

 

真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』ダイアン・J・グッドマン著/出口真紀子監訳/田辺希久子訳

上智大学出版・2017(原著2011)

 あらゆる企業の経営者層及び人事部・教育機関コンサルタント・対人援助組織の課題図書にしてほしいマジョリティ教育についての指南書。ケーススタディもたくさんあってワークブックとしても有用です。基本的にはダイバーシティ教育者向けの内容なのでこれをマイノリティ当事者が訓練なしに使おうとするのには少々慎重になったほうがいいだろうなとは思います。個人として読む場合、自分もどこかの属性については必ずマジョリティ(Privileged group)なのだという前提で取り組むとよいように感じました。


アイデンティティが人を殺す』『世界の混乱』アミン・マアルーフ著/小野正嗣

筑摩書房・2019/2019(原著1998/2009)

 複数の故郷を持ち、複数のアイデンティティを持つ著者の、その属性を安易に自明のものとして飲み込むのではなく、それらが形成・変容していく歴史や背景、アイデンティティの先鋭化が招く衝突を分析する透徹とした姿勢、そして、西洋中心主義も現在のイスラム社会の閉塞性も批判しつつその融和を後押しし、文化の越境者としてあらゆる存在の尊重と共生、そして協調による問題解決への訴えを、人間の知性・理性・文明への厳しくもあたたかな愛と言わずしてなんと表現すればよいのでしょう。2020年の日本や世界の(決して楽観視していられない)情勢を見ながら/その社会の構成員のひとりとして参加しながら、まるでこれらの本から「大人になれ」と渾々と諭され叱咤され、お前にはまだやるべきことがあると励まされるようでした。複数の言語を学ぶことも国境を越えて受け入れ・受け入れられていくことも、諦めなくていいし、諦めてはいけない。

 

なぜならそれは言葉にできるから 証言することと正義について』カロリン・エムケ著/浅井晶子訳

みすず書房・2019(原著2013)

 最初の短い挿話であり表題作のテーマにもなるひとこと、「じゃあ、あなたがこれを言葉にしてくれる?」とそれに対する答えである「はい」。誰でも発信でき誰でも自らメディアになれてしまう今、私は当事者による言葉に頼りすぎていないだろうか、と考えさせられました。これは暴力に曝された個人が沈黙してしまうこと、再び言葉を発する難しさ、暴力「以前」と「以降」の断絶について分析した評論だったので。もちろん最初に発されるシグナルは当事者からでしかありえないのだけれど、それに気づき、足を止め、耳を傾け、掬いあげることこそ、その周囲の人間、当事者と向き合う人間がせねばならないことなのではと。
 また、『民主主義という挑戦』で、著者は「排除のメカニズムを崩壊に導こうと思うのならば、すべての人を社会に受け入れる戦術を発展させようと思うのならば、私たちは、言葉を正確に使うことを心がけねばなりません。そして、何度も何度も、世間で通用している基準とその適用がなにを意味しているのかを明らかにするために、私たちの悲しみ、怒り、絶望を、他者にも理解可能な像に翻訳し続けねばならないのです」と主張します。それは、自分は居心地のよい自分のツイッターフィードやそこから生じた人間関係でだけ伝わる言葉を気持ちよく使って安心してしまっているのでは、といううっすらとした危惧に否応なく突き刺さる言葉でもありました。
 私はもっと誰かほかの人のために自分の言葉を磨きたいし、そうせねばならないのだと思います。


生命倫理学と障害学の対話 障害者を排除しない生命倫理へアリシア・ウーレット著/安藤泰至、児玉真美著

生活書院・2014(原著2013)

 歴史的に障碍者の命や尊厳を無碍に扱ってきた医療、いわゆる「権威」の側に立つ生命倫理学に、同じ生命倫理学者の立場から「障害者たちの生の声を聞け」「それが神経を逆撫でするような「怒りの話法」であっても、その背景にある深く強い痛みを汲み、思いを致せ」と提言する難しさ、そして他方の障害学者たちに「自身を損なうかもしれない道へ連なる門を閉じたいのはわかるが、それでは守れないものもある」と語りかける難しさを、この本の隅々から感じました。著者自身も様々にこの議論について誤ちをおかし非難されてきた経歴を持ちながら、そしてこの本自体にもナイーブさがあることを指摘されながら、それでも対話をと今も双方に呼びかけ続ける姿勢に頭が下がります。相模原事件とALS嘱託殺人事件が起きてしまった日本とは周回からして異なる議論でつらい部分もあるのですが、だからこそきちんと読んでいきたい。


他者の苦痛へのまなざしスーザン・ソンタグ著/北條文緒訳

みすず書房・2003(原著2003)

 報道における写真(より近年では映像)はなにを撮影していて、それを受け手はどう見るのか? を多角的に評論した本。同じテーマの著者の他の著作は未読なのですが、これ一冊でも非常に示唆に富んでいて面白かったです。私はドキュメンタリー映画が好きなのですが、写真が映す/映さないもの、そこにどのような意味づけがあるのか(意味づけされた写真は「事実」と呼べるのか・受け手はそこから正しく意味を受け取ることができるのか・そもそも正しさとは何か)、芸術性に対するジレンマ、報道写真と扇情性などなど、ドキュメンタリーを見る中で考えることとも共通点が多い。ジョルジュ・ディディ=ユベルマンイメージ、それでもなお』や竹内万里子『沈黙とイメージ』を読む際の大きなサポートにもなりました。

 

増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』クリストファー・R・ブラウニング著/谷喬夫訳

筑摩書房・2019(原著1992・1998)

 ホロコーストの「主導者」として悪名高いヒトラーやヘス、ゲッベルス、あるいはアイヒマンに代表される「役人」とも異なる、その「実行者」の集団のひとつだった民間人上がりの第101警察予備大隊の記録を詳細に追うことで、この最悪の大虐殺のシステム・経過と個々人の責任を改めて問い直す考察。もっとも容赦がないのは本書そのものではなくて、この本のあらゆる記述や特に最後の章で写真たちによって示される猛烈に無神経な(もしくは猛烈に無神経であることによる)加害性が、決して他人事ではない日本の歴史と、にもかかわらずそれに対する不誠実極まりない姿勢、そして今の世の中の空気とあまりにも似通っていることのほうなのだと思います。


ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』ケイト・マン著/小川芳範訳

慶應義塾大学出版会・2019(原著2017)

 実はTwitterであれこれ言うほど「フェミニズム関連書籍」を読んでいるわけではないのですが、フェミニズムジェンダー問題を考えるのになくてはならない一冊に入ったように思います。
 横浜国立大の江原由美子教授が非常にわかりやすく解説したコラムが既にネット上に公開されていて(これに限らず江原教授のジェンダーに関する評論やコラムはとにかく分かりやすくてどれを読んでも本当にためになる)これ自体もめちゃくちゃおすすめなので、もはや私の紹介など要らぬ……という感じである。リンク貼っておくのでぜひ読んでください。ただしこれを読んで書籍を読んだ気にならないように。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70296

 

ママはスチュワーデス 翔んで翔んで22年ものがたり』尾崎恵子著

日本機関紙出版センター・1996

 過酷な労働環境かつ30歳定年制・結婚退職制がまかり通っていた旅客機の客室乗務を、結婚しても子供を産んでも続けられるようにと、労働組合に参加する中で自身の権利意識を育て、会社の不当な人事配置に対して訴訟を起こし和解を取りつけた著者の自伝。予想していたより何倍も激しい労働闘争の記録で(それだけ雇用主である日本航空のやりかたが陰湿かつ苛烈だったということでもある)、70〜80年代の女性の権利運動・労働運動のうねりの大きさを再確認できます。96年に出版された本なのですが既に契約雇用の立場の弱さにまで言及があって、2021年に入ったばかりの今でもまったく「ひどかった昔の話」になっていないどころか一部では悪化しているんじゃないかと思ってしまうような現実が重い。一般流通で見つけるのはほぼ無理な本なので、地域の図書館か男女共同参画センターに問い合わせてみてください。


アメリ黒人文学(の、ごく一部)を読む

地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド著/谷崎由依訳 早川書房・2017(原著2016)

歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』ジェスミン・ウォード著/石川由美子訳 作品社・2020(原著2017)

フライデー・ブラック』ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー著/押野素子 駒草出版・2020(原著2018)

世界と僕のあいだに』タナハシ・コーツ著/池田年穂訳 慶應義塾大学出版会・2017(原著2015)

 2020年はアメリ黒人文学を初めて(!)読んだ一年でもありました。『地下鉄道』『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』がそれぞれ奴隷制と合衆国憲法修正第13条に基づくブラックヒストリー中心の作品であるのに対して『フライデー・ブラック』は現代及び近未来SFとポジションは異なるのですが、そのどれも絶望的なほど生々しく「いま、ここ」及びそこに連なるアメリカを描き出しながら、それでいて深く熱い愛情に溢れているとしか言いようがない読後感を残していったのが極めて印象的でした。
『世界と僕のあいだに』は著者が息子に語りかける形のエッセイですが、信仰がないと明言するところも含め、コーツは自分が「ブラック・カルチャー」と呼ばれるものに回収されることを拒んでいる、マイノリティであるコミュニティの中でも更に逸脱者であることを選んだ(あるいはそうならざるを得なかった)のかな、と考えました。駆け出しで読むには少しハードルの高い本だったかもしれず、もっと知識を得たり他の著者の作品や論評に触れたりするとより踏み込んだ読みかたができるかも。

 

・社会批判とエンパシー、セウォル号事件をその突端として

目の眩んだ者たちの国家』キム・エラン他11名著/矢島暁子訳 新泉社・2018(原著2014)
フィフティ・ピープル』チョン・セラン著/斎藤真理子訳 亜紀書房・2018(原著2016)

 作家や学者など12名がセウォル号事件を通して彼ら自身の社会を見つめ批判する前者の本から窺えることは、なによりも彼らひとりひとりの強い当事者意識でしょう。社会にはびこってきた自己責任や責任転嫁、事なかれ主義、それらすべてを包み込んで肥大化した新自由主義がもたらした大きな人災であり政治災害を厳しく指摘しながら、執筆者の一人として自分自身もその過ちを許した社会の一員であることから逃げず、社会参加者としての己の加害的側面をも受け止め、一切の冷笑や自嘲を許さずこうして論評を束ねること、その強靭さと誠実さに、今の自分の社会を振り返ってただ粛然と首を垂れることしかできません。
 そして後者の小説が描くのは、前者が指摘するその社会背景によって少しずつ足元から冷えていくような薄暗い閉塞感、日常の綻びにあって、それでも他者に目を向けること、互いに他者のために手を差し伸べることを忘れるつもりはないのだという、低く静かな、しかしはっきりとした宣言でした。
 ずいぶん形態の違うどちらの本にも共通するのは、諦めず、斜に構えず、参加者であることを忘れず、正しくあろうとすることを恐れず、真面目であり続ける覚悟でしょうか。


朝鮮半島の歴史・文化・言語、そして日本のそれとどう向き合うか

隣国の言語を学び、教えるということ 日韓の高校で教える言語教師のライフストーリー』澤邉裕子著 ひつじ書房・2019
日韓共同の歴史教育 21世紀をきりひらく授業実践交流の軌跡』日韓教育実践研究会(日本)、慶南歴史教師の会(韓国)編/三橋広夫代表編集 明石書房・2019

 内容はどちらもタイトルの通り。前者は言語教育(及びその教師)、後者は歴史教育と、中高生に対する授業アプローチの研究がどちらも読めて比較できるのが面白いです。特に前者は私がほとんどはじめてきちんと読んだまとまった形の論文だったのですが(ネット等で読める論文PDFはやはり個別のイシューに絞られた言うなれば「短編」が多いので)、内容の充実度及びなによりその書き振りの生き生きとした豊かさに、論文ってこんなに面白いんだ!と思わせてもらえたのは私にとってとても大切な読書体験でした。
 教育現場への参与観察でありながら、やはり題材が題材だけに歴史や互いへのイメージなど複雑な部分にも簡潔に、しかししっかりと踏み込んでいます。今、(私のように)独学や言語学習教室で韓国朝鮮語を学んだり、韓国旅行を検討したり渡航経験のある、または韓国発の娯楽に触れている「韓国のことが好き」な人たち、あるいは現状の国際関係に疑問や疑念のある人やよくわからないと感じる人にこそ手に取ってほしい二冊です。


パチンコ』(上下巻)ミン・ジン・リー著/池田真紀子訳 文藝春秋・2020(原著2017)

 小説家はなんでも書ける、それでこそ小説家だ、あるいはもっと極端に言えば小説家たるもの自ら想像することを放り出してどうするという意見もあるのでしょうが、2020年に読んだ小説をいくつか比べてみて、それでもやはり当事者とある程度属性を共有しなければ書けないもの、そこに属さない者には簡単には書けないもの・描けないものはある、という暫定結論に至っています。もちろん物理的に「書けない」ものはないのですが、うん、きっと書けない。日本にルーツを持ったうえで日本に暮らす日本国籍の、己の所属に深い葛藤を抱くことのない私を含む大多数の「日本人」には、どれだけ調査してどれだけ知識を深めどれだけ慎ましくそれらに向き合ったとしても、絶対にこれほどの切実さをもってこの話を書くことはできない。だからこそ読む必要がある。読んで、自分の属性の特権と加害性に触れる必要があるんです。
 それでいて、人間の人間に対する過ちや取り返しのつかない失敗はたいていが無知(ignorance)に由来し、誰もが自分の物差しでしかあらゆるものを測ることができないのだという、極めて普遍的なメッセージを同時に含むこともまた、私に深い自省をもたらしたのだと思います。
 この属性も物差しも置くことができないのなら、せめて最低限、それらを持っていることに自覚的でありたい。

 

「国語」という思想 近代日本の言語認識イ・ヨンスク 岩波書店・2012

 明治時代のはじめの言文一致運動の始まりから第二次大戦の終わりまで、つまり帝国日本の国内及び植民地における言語と政治の研究書。言文一致、「標準語」の設定に深く食い込む政治性やナショナリズムの高揚、東アジア諸国への蔑視、朝鮮半島満洲国に対する「国語」教育の圧力について丁寧かつダイナミックな分析がなされています。なにより他国侵略時の言語政策についてそれらがいかなる法の制定も伴っていなかったという事実を不勉強にしてはじめて知り、まさに今この瞬間の政治のずぶずぶの崩れぶりの根源を見るようで誇張でなく吐き気がしました。こんな歩み方をしてきた「国語」の流れを当たり前に汲む現代の国語教育と、それを少なくとも当時は疑うことなく履修してきた我が身を振り返って寒気すら覚えつつ、このまま知らないでいるよりましだと自分に言い聞かせながら今年の政治も厳しく追及していく他ないのだと思っています。
 これを読んだうえで改めて梁英聖『レイシズムとは何か』や加藤直樹九月、東京の路上で』を読んだり慰安婦・徴用工問題や在日コリアン差別や「嫌韓」について調べたりするとその蔑視の根深さがのしかかりますが、知らなかったでは済まされないことですからね……。

 

 


 長々とお付き合いいただきありがとうございました!
 読んだ本全リストは以下。また冒頭タグでTwitterを検索していただくとほとんどの書籍のぬるっとした感想が出てくるので、ご興味のあるかたはそちらもどうぞ。

  

 2021年もお互いよい本との出会いに恵まれますように!